中和行動

日々の生活を中和するためのブログです。

予想通りに不合理★★★★☆

言わずと知れた行動経済学の本です。これまで筆者が研究仲間と行ってきた膨大な研究がカジュアルな文体でまとめられています。

この本のスゴイのは実験のエピソードが本当に面白くって、行動経済学について全く知らない人でもすいすい読めてしまうこと。たぶん皆さんも読み始めると、"こんな毎日遊んで生活してるような大学教授なら是非なりたい!"と羨むと思います*1

人間は"合理的"ではないということ

この本が伝えようとしているのは、人間は"合理的"ではないということ。例えば、選択肢3つあったら真ん中の選択肢を選びがちだったり、報酬があると逆にやる気がなくなることがあったり、"無料!"だと(特にいらないものでも)急に欲しくなったり、1セントのアスピリンより20セントのアスピリンの方が効果があったり。これらの行動は古典経済学の前提とされている"合理的経済人"の行動からかけ離れています。

以前の記事でも書いたんですが、これは人間の"直感"*2は、人間が原始時代を生き延びるために進化した*3ことに由来するのだと思います。だから、"不合理"な行動だとしても法則があるようです。実験を通じてその法則を見つけようとするのが行動経済学で、その知見を応用することで人々が幸せになれる選択を選びやすくすることができます。

hsasayan.hatenablog.com

 

本記事では、個人的に気になった研究を2つほど紹介し、その後にダイジェスト方式で面白いと思った知見をピックアップしました。自分が幸福に過ごすための教訓として書いたものですが、皆さまのお役に立てましたら幸いです*4

1. 社会規範と市場規範 ~お金をもらうと楽しめなくなる~

もしあなたが友人や恋人にプレゼントをするときに、一緒にプレゼントの金額を伝えたら、受け取る相手は困惑するのではないでしょうか*5。でもそれがなぜかを説明をしてほしいと言われると、言葉に詰まるのではないでしょうか。それをすっきり説明する考えとして、社会規範と市場規範という考えがあります。

それはわたしたちがふたつの異なる世界──社会規範が優勢な世界と、市場規範が規則をつくる世界──に同時に生きているからだ。社会規範には、友だち同士の頼みごとが含まれる。ソファーを運ぶから手伝ってくれない?タイヤ交換をするから手伝ってくれない?社会規範は、わたしたちの社交性や共同体の必要性と切っても切れない関係にある。(中略)ふたつめの世界、市場規範に支配された世界はまったくちがう。ほのぼのとしたものは何もない。賃金、価格、賃貸料、利息、費用便益など、やりとりはシビアだ。

この社会規範と市場規範の何が面白いかというと、お金の話が絡むことでやる気を失ったりモラルを損なうことがあるということです。下記に3つの例を示します。

例1: 無償での協力の方が頑張る

筆者が行った実験では、実験の協力への見返りとして金銭を約束したグループでは、何も報酬がないグループや報酬としてプレゼント(5ドルのゴディバのチョコレートか)が与えられたグループより作業の効率が低下しました*6

この研究の面白いところは、金銭だと市場規範を強く意識させてしまいますが、プレゼントであれば市場規範を意識しない(社会規範にとどまることができる)ということです。

例2: 遅刻に対する罰金が遅刻を増やす

また、託児所で親のお迎えの遅刻に罰金を課したイスラエルの保育園では、罰金の意図に反して、遅刻する親の数が増加しました*7。これは、罰金がなかったときは"先生に対して申し訳ない"という気持ち(社会規範)から遅刻しないように心がけていたのが、罰金により"お金を払えば遅刻が許される"という考え(市場規範)に移ってしまったということです。

例3: NPO法人は無償で仕事を依頼した方が弁護士の協力を得やすい

あるNPOでは弁護士に仕事を依頼する際、少額の謝礼を支払うより、無償のほうが仕事を引き受ける確率が高いということを発見したようです。謝礼がある場合、自分の時給と謝礼を比較してしまい、とても時間に見合ったものでないと判断してしまうのでしょう。

 

社会規範の怖いところは、市場規範は強力で、一度金銭と自分の行動を結びつけてしまうと、その考えから離れることはなかなか難しいというところです。また、社会規範と市場規範を両立させることはできません。前述の保育園の場合、罰金をなくしても、親の遅刻の割合は長く高いままでした。自分の場合も心当たりがあります。学生の時、勉強は自分のためやいい研究のためにするもので、それ自体が楽しいものでした。しかし、社会人になると「この勉強をすることでどれだけ自分の収入・市場価値が上昇するか」ということを考えてしまって、辛いなぁと思うことがあります*8

社会規範に目を向けよう

市場規範はとても強力であり、社会がますます市場規範を強めている~より高い給料、より多くの収入、より多くの消費を求める~ことに、筆者は警鐘を鳴らしています。確かに日本でも"自己責任"の名の元、"稼げない人は無能"とでも言わんばかりの言動は簡単に見つけられます。逆に、高所得であることを誇り、"札束で人を殴る"人もしかり。

正直、平均的な所得である自分はこの言説は辛いなーと思っています。給料の多寡って業界や会社で決まるので、給料だけ求めると自分がやりたい事と全然違うことをやらないといけない場合もあるわけです。また、高収入と努力って比例することの方が少ないと思うんですよね。比例しないとは言いませんが、住む場所や働く業界の方が影響因子として大きいと思います*9 。一方、会社の風土がいいとか、上司がいい人、本人がやりがいを感じているというようなことは見落とされがちです。これは、人によって何がいいかは異なるから、比較が容易な給与に皆が着目するのでしょう。

一般に、人は給料のために働くが、そのほかにも仕事から無形の利益を得ている。これは給料と同じようにちゃんと実在し、とても重要なものなのだが、給料とちがってほとんど認識されていない。

筆者は上記のような要因が見落とされがちであることを指摘する一方、従業員との関係を社会規範の範囲にとどめるためにボーナスではなく、旅行などをプレゼントすることを提案しています。これには自分は同意しませんが、中小企業のように社長と従業員の関係が近い場合はプレゼントもありかもしれません。金の延べ棒やテレビをくじ引きやじゃんけん大会の商品としてプレゼントしている会社を思い出しました。

gentosha-go.com

いずれにせよ、私たちの生きる目的はそれぞれが幸せになることだと思うので、一部だけが勝者になる市場規範より社会規範に目を向けて生きて行けるような社会になってゆくといいなと思っています。

2. アンカリング~スターバックスのコーヒーはなぜ"高くない"のか~

 アンカリングという言葉を聞いたある人は多いと思います。例えば、交渉で最初に提示された金額が、無意識のうちに基準となり、その後の判断が最初の金額に左右されるというような。本書でも、「真珠王」サルバドール・アセ―ルが、ほとんど需要のなかった(=誰も価値を決めていなかった)黒真珠を世界最高級の宝石として売りに出したことで、莫大な富を築いたことが紹介されています。

一方で、このアンカリングの移り変わり(長期的な影響)についてはあまり知られていないように思います。本書では、スタバのコーヒーを例に、最初の決断が習慣となり(自己ハーディング行動)、最初は別のアンカーと比べて高いと思っていたものが、新たにアンカー(=普通の金額と感じる)となることが紹介されています。"最初の決断は一時限りのものではない"のです。

(先週初めてスターバックスに入った)翌週、あなたはまたスターバックスの前を通りがかる。立ちよろうか?理想的な意思決定をするには、コーヒーの品質(スターバックスダンキンドーナツ)、ふたつのコーヒーの価格、そしてもちろん、もう数ブロック歩いてダンキンドーナツまで行く手間(または価値)を考慮すべきだろう。ただし、これは複雑な計算になる。そこで、簡単な決定法に頼る。「前にもスターバックスにはいって、気持ちよくコーヒーを楽しんだのだから、これはわたしにとっていい決断にちがいない」というわけで、店にはいってまた小さいサイズのコーヒーを注文する。(中略) こうして、 いつのまにかスターバックスでコーヒーを買うのが習慣になっている。(中略) 過去に何度も同じ決断をしてきたのだから、これこそ自分の望むお金の使い道だと思いこんでいる

私はこれを読んだ時、「確かに最初は高いと思っていたよなぁ」ということを思い出しました笑。今ではスタバがアンカーとなって、ブルーボトルコーヒーがちょっと高いなぁと感じるぐらいに。。

また、アンカーは同種のものには働きますが、別種と感じるものについては働きにくいようです。スタバはスタバ以前のコーヒーショップとは異なる価値(例えば、サードプレイスとなる空間、おしゃれで気が利く店員、フラペチーノ!!)を提供することで、高いコーヒーがアンカーにかからないように工夫しています。

つまり、入店の経験がほかとはちがったものになるように、できることをすべてやった。ほかとはかけ離れた経験にすることで、わたしたちがダンキンドーナツの価格をアンカーに使わずに、かわりにスターバックスが用意した新しいアンカーをすんなり受けいれるように全力をつくしたのだ。これがスターバックスの成功におおいに貢献している。

このことから物の価値を判断するのは人間には最も難しい部類のタスクと言えそうです。難しいので過去の判断や感情(アンカリング)はどうだったかという簡単な問題に置き換えて判断する*10のだと思われます。昨今、美術業界では最高落札額が更新され続けていますが*11、これも最高額がアンカーとなって更新され続けているのかもしれないなと思いました*12

3. その他

  • 人はものごとの価値を相対的にしか評価できない

人間は、ものごとを絶対的な基準で決めることはまずない。ものごとの価値を教えてくれる体内計などは備わっていないのだ。ほかのものとの相対的な優劣に着目して、そこから価値を判断する

  • 無料の力~金銭が絡まない時、自己の利益より他者の幸福を意識する~

かごに入れたクッキーを無料で配布する場合、有料で配布する場合(1枚1セント)と比べて被験者の購入量が少ない(有料の範囲では、金額が低下するにつれて購入量が増加)。"無料"の場合、市場規範より社会規範の方が強く働き、かごの中のクッキーを公共財としてみなすためと考えられる。つまり、自分が取りすぎると他の人が取れなくなることを思い出させる。

また、このことは、CO2の排出権取引制度が上手くいかないことを説明します。つまり、お金を払えばCO2を出してもいい(まさに日本の考え方)に結びついてしまうためです。

  • 性的に興奮している時は、冷静な判断ができない

実験協力者が性的に興奮しているときは、さまざまなやや変わった性行為をしたくなるだろうという予想が冷静なときのほぼ二倍(72%増)になっていた。

対象はUCバークレーの学生。

  • 私たちは選択肢を閉ざすことに強い抵抗感を感じる。たとえその選択肢に価値がなくても。

めまぐるしく動きまわるのは、ストレスになるだけでなく、不経済だということだ。実験協力者たちは、扉が閉ざされてしまわないよう必死になるあまり、扉が消える心配をしなくてすんだ実験の協力者に比べて、獲得金額がかなり少なかった(約一五パーセント減)。ほんとうは、部屋をひとつ──どの部屋でも──選んで、実験のあいだじゅうそこにとどまってさえいれば、もっと賞金をかせぐことができたのだ(これが人生や仕事だったらと考えてみるといい)。

わたしたちはあらゆる方向にみずからを成長させなければならない。人生のすべての側面を味わわなければならない。死ぬまでに見るべき一〇〇〇のもののうち九九九番めで止まっていないか、しっかり見とどけなくてはならない。だが、ここで問題が生じる。わたしたちは無理にいろいろなことに手を広げすぎてはいないだろうか

  • 不正について

私たちは、金銭を直接扱うような不正(強盗やスリ)には強い抵抗感を感じるが、 会計の操作やインサイダー取引など、金銭から一歩離れたところの不正は抵抗感を感じにくい。

世界を見まわすと、たいていの不正行為は現金から一歩離れたところでおこなわれている。

言うまでもなく、わたしたちはだれもがこの弱さを持っている。ありがちな保険金詐欺を考えてみよう。保険加入者は、家や車を失ったと申告するとき、一〇パーセントほど損害額を都合よく水増しすると見積もられている(もちろん、あなたが大げさに損害額を報告すれば、保険会社は保険料率をあげるので、状況はとんとんになる)。ここでも、たいていは完全に目 に あまる よう な 詐欺 は おこなわ れない。たとえば、27インチのテレビを失った人は32インチのテレビだったと申告し、32インチのテレビを失った人は36インチのテレビだったと申告する、といった程度だ。

直前に道徳基準を思い出すことで、(実験における)ごまかしの程度が減少する。

十戒のうちひとつかふたつの戒めしか思いだせなかった学生も、一〇個をほぼ完璧に思いだした学生と同じくらい影響を受けたことだ。これは、十戒そのものが正直になることをうながしたわけではなく、なんらかの道徳基準に思いをめぐらすだけで十分だったことを示している。

 

参考文献 

*1:実際、毎日遊ぶように研究できてるかというとそう単純ではないと思うけれど。

*2:ダニエル・カーネマンの書籍(ファストアンドスロー)でいうシステム1

*3:そしてそれは現在社会では"不合理"なことがある。糖分が簡単に手に入るようになった現代社会でも、糖分を過剰に取りすぎてしまうように。

*4:わかりにくいところの質問や面白くなかったときには是非コメントください。今後修正してゆきます。

*5:サイコパスの場合は話は別かもしれないが

*6:この実験の概要は下記の通り。"コンピューターの画面の左側に円が表示され、右側に四角が表示される。マウスを使って、円を四角までドラッグする課題だ。四角までドラッグすると、画面から円が消えて、最初の位置にまた新しい円が現われる。実験協力者にできるだけ多くの円をドラッグするように言い、五分間で円をいくつドラッグできるかを測定した。その数で労働産出量──実験協力者が課題に費やした労力──を測った。"

*7:Gneezy, Uri, and Aldo Rustichini. "A fine is a price." The Journal of Legal Studies 29.1 (2000): 1-17.

*8:おそらく自分が勉強したことで収入が上がることはないと思う。少なくとも短期的には

*9:例えば、社長や営業は自身の売上と収入が結びつきやすい一方、エンジニアは人材の需給の影響の方が大きいなど。エンジニアがどれだけ会社に利益をもたらしたかは評価しにくいわけです

*10:心理学でいうヒューリスティック

*11:落札額のトップ10は全て2010年以降。最高落札額はレオナルドダヴィンチが制作したと言われる"サルバトール・ムンディ"で、$460.4M 高額な絵画の一覧 - Wikipedia

*12:お金持ちと言うのは多少なりとも見栄っ張りなのでアンカーを更新しようとするのでは

「幸せ」について知っておきたい5つのこと (NHK「幸福学」白熱教室)★★★★☆

この本は科学的に明らかとなっている"幸福な人"の条件*1をまとめたものです。

幸福*2に関する研究者の5つの講義をまとめたもので、さながら幸福に関するレビューペーパーといった感じでしょうか。だから、「幸福になるためには○○をすればよい」というわかりやすい形ではなく、「幸福度の高い人の多くに共通する条件はXX。ただし、必しもXXであれば幸福であるとは限らない」というような、研究者の厳密な書きぶりでいくつもの研究成果が取りまとめられています。

幸福の3つの材料

自分がこの本を読んだ感想は、「あぁ人間の幸せって、原始時代から変わらないものなのかもなぁ」ということです。この本では幸せの"3つの材料"として、「人との交わり(social)・親切(kind)・ここにいること(present)」が挙げられています。これらの3つすべてが裕福さ、物質的豊かさやテクノロジーの発展とは無関係です。

幸せになるには、ケーキを作るときのように、3つの材料が必要なのです。それは「人との交わり(social)・親切(kind)・ここにいること(present)」の3つです。

つまり、幸いなことに、"幸せ"というのは、一部の裕福層やインフルエンサーなどが達成できるというものではなく、"普通"の人でも達成できるものと言えそうです。おそらく、幸福は、原始の狩猟採集社会*3で人間が生き延びるために"役に立つ"感情だったのだと思われます。例えば、人と交わりに幸福を感じるようにプログラムされているのは、幸福を通じて人との協力を促す事ことで、一人で背負うには大変なリスク(何週も食料が取れない等)を分散させ、生き延びるのに役立ったのではないでしょうか。なので、"普通"の人でも達成できるというのは当たり前と言えば当たり前かもしれません。

なので、上記の3つの"材料"は現代の価値観(年収や物質的豊かさ)とは別のところにあると言えそうです。ただ、皮肉なことに、現代では意識していないと、これら3つのことは簡単に見失ってしまえます。例えば、ここにいること=目の前のことに集中することというのは、スマホが簡単に奪ってしまいます。また価値観の多様さや日本の経済的困難さから結婚は当たり前ではないと考える人も増えていますが、未婚は人との交わりの一部を失うことになります(残酷ですが)。

本記事では、これら3つの項目を簡単に説明した後、その他幸福に関係するもの・関係しないものについて列挙してゆきます。

人との交わり・親切

本書では、5つの異なるトピックを扱ったものにも関わらず、人との交わり、親切が幸福に影響すると繰り返し出てきます。つまりそれ程重要ということです。

ポジティブ心理学の先駆者たちは、幸福度の高い人たちを集めて研究し、彼らを幸せにしているものは何かを突き止めようとしました。(中略) それぞれのタイプは違いますが、(幸福度の高い)上位10%の人たちに共通していたのはたった1つ、社会との結びつきが強いことでした。幸せな人たちはみな、友人や家族と良好な関係を築いています。

ボランティア活動をすることは、より大きな幸福感に結びつくのです。逆もまたしかり。幸せな人のほうがボランティアに積極的な傾向があります。ボランティアは人を幸せにしやすいのです。

親切は一日一善よりも、1週間のある日に5つ親切にしたほうが幸福を感じやすいようです。なのでボランティア活動が人を幸せにするのもうなづけます。また、感謝の気持ちを示すことや、感謝日記をつけることは、幸福度に大きく寄与するとのこと。


また、誰と関わると幸せを感じるかは国によって異なりますが、日本では家族との助け合いが幸福度を高めるようです。

日本人にとって、より幸せになる人間関係はどれなのでしょうか。内閣府の調査によると、幸福感を高めるのに有効な手立てとして最も多い答えが家族との助け合いでした。次に重視しているのが友人、そして地域住民、職場の同僚という順番でした。

この人との交わりが人の幸せのキーファクターと知って、自分には省みるところがありました。自分は仕事や、不安から自分のための勉強に時間を割いて、人と交わることを後回しにすることがあります。ただ、最近、"これずっと続けていると辛いな"と思い、方針を変えたのですが、趣味のサークル等で人と継続的につながっている人は幸せそうな人が多いです。社会的地位を得ることを目指すより、"足るを知る"方が幸せに近いのかなとも思いました。

一方、この知見は親が"毒親"だったり家族との関係が悪い人、未婚の人にはチクッと刺さる事実だろうなぁと思います。この本では"誰でも幸せになれる"ということが書かれていますが、それは"普通"の人にとってです。ただ、人とのつながりは、自分でも切り開く余地があるので、今いる場所とは別の場所を見つけられる可能性があるというのは幸いかもしれません。

ここにいること(目の前のことに集中すること)

ここにいること(=目の前のことに集中すること)は幸福度を高めます。下記のグラフでは、目の前のことに集中している場合(not mind wandering)、幸せで他のことを考えている状態(peasant mind wandering)と同じかそれ以上の幸福度を示しています。普通の状態で他のことを考えている状態(natural mind wandering)よりかなり高い幸福度です。

面白いのは、目の前のことに集中していればつまらない事(渋滞中の運転)でも幸福に感じるようです。また、マインドフルネスとも関係がありそうですね。少し調べてみたいです。

f:id:hsasayan:20210131130030p:plain

目の前のことに集中することと幸福度(横軸)の関係: Matthew A. Killingsworth & Daniel T. Gilbert (2010), Science, "A Wandering Mind Is an Unhappy Mind"より

こちらは、下記のTEDの動画でわかりやすくまとめられています。

www.ted.com

幸福度と関係があったこと

ここから、より具体的な項目について列挙してゆきます。

結婚

結婚している人は幸福度が高いです。おそらく、"社会的つながり"を高めるからと思われます。しかし、本書でも述べているように、結婚したから幸福度が高いのか、幸福度が高い人が結婚するのか、結婚と幸福度の因果関係は不明です。

f:id:hsasayan:20210131100854p:plain

結婚と幸福度の関係: O Lelkes (2008) Policy Brief "Happiness Across the Life Cycle: Exploring Age-Specific Preferences" より
ESS: The European Social Survey 2002/2003

経験にお金を使うこと/人への投資

人は物を買っても一時的に物質的満足度が得られても、幸福度は変わらないようです。逆に後悔する事さえあります*4
本書では、経験にお金を使うこと(旅行やイベント等)や他人へお金を使うことが幸福度を高めることが紹介されています。どうもこれも"人との交わり"を強めるという側面と関係がありそうです。

モノを買うより経験を買うほうが、より幸福感を得やすい。その理由は「記憶に残り」「自分だけの個性を感じ」「他人と社会的価値を共有する」ことにあります。

(ウガンダとカナダ)どちらの国のケースでも「自分のためより人のためにお金を使ったことを思い出すほうが、より幸福感が高い」という点でぴったり一致していたのです。

(中略)さらに、子どもの表情を調べてもらったところ、おやつをもらったときより、分け与えたときのほうが、より大きな幸福感を示しているという結果も出たのです。

特に、人へ何か投資をする(プレゼント等)と喜びを感じるということは、国の貧富とは関係なく、また幼児でも持っている感情であり、"人の生まれ持った性質"ではないかと本書で述べられています。これも原始時代、「人を助ける」という行動が生き延びるために非常に役に立ったのではないかと推測されていました。

幸福度とあまり関係がないもの

お金持ちであること

お金は幸福度を増大させますが、それはある一定の範囲までです。米国を対象とした研究では年収$7,500で幸福度が頭打ちになることが示されています。また全世界を対象とした研究では、日本を含むEeat Asiaでは年収が600万円ほどで幸福度(Mean positive affect (of income))が頭打ちになるようです*5
面白いことに、"頭打ち"の年収を超えると幸福度が低下する地域がみられます。これは年収が高い人は仕事の責任も大きく、ストレスの影響が収入による幸福度の情報を上回るということを意味していそうです。
また、East Asiaでは所得1200万円で満足度(幸せと異なるもの。自分で自分の人生をどのように評価しているかという指標(Life evaluation))*6が最大値なので、主観的な認識も上場企業の社長のような報酬でなくても"満足"するようです。

f:id:hsasayan:20210131094730p:plain

年収と幸福度の関係 in US: プリンストン大学 (2010)  (本書より引用)

f:id:hsasayan:20210131113432p:plain

幸福度と年収の関係: A. T. Jebb et. al. (2018) "Happiness, income satiation and turning points around the world," Nature Human Behaviour (Fig.1b)

EA: East Asia (日本はここに含まれる), GL: Global, AF: Sub-Saharan Africa; AUS, Australia/New Zealand;  EE: Eastern Europe/the Balkans, LA: Latin America/the Caribbean, ME: Middle East/North Africa, NA: Northern America, SE: Southeast Asia, WE: Western Europe/Scandinavia.

子供を持つこと

子供を持つことは幸せとあまり関係がないようです。

これまでに行われた研究を見てみると、子どもの存在が幸福度に与える影響は小さいようです。ただし、子どもがいたほうが、多少は幸せになるという結果が出ています。(中略) このテーマは、研究者の間でも意見が分かれるのですが、いずれにしても影響は小さいという点では意見が一致しています。

これは、子供を持つことで、子供の成長を喜ぶ機会も増えますが、子供のことで頭を悩ませることもあるからと思われます。なので、子供を持つということは幸せの"分散"を大きくするような効果なのかもしれません。

まとめ

筆者は幸福というのは、現代の価値観ではなく、"原始時代の価値観"(人間の根源的な欲求)に従うことで得られるものという認識を深めました。私たちのOSは、基本、原始時代を生き延びるようにプログラムされているため、感情の一つである幸福感も、原始時代に住んでいる自分の視線から考える必要がありそうだと。

下記、本記事で紹介した幸せになる・幸せと関係がある行動についてのまとめです。

 

幸せと関係する行為

  • 人とのつながり(結婚、家族とのつながり)

  • 親切・感謝
  • 目の前のことに集中すること
  • 他社への投資、経験へお金を使うこと
  • 600万円までの所得の増加

幸せと無関係な行為

  • お金持ちであること
  • 子供を持つこと

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

ご紹介した本では、 他にも、仕事で幸せを感じる方法(ジョブクラフティング)、挫折から立ち上がる方法、幸せの賞味期限など様々な研究の情報がまとまっているので、ぜひ手に取ってみてください。

 

参考文献
  • M.A. Killingsworth, D.T. Gilbert, A wandering mind is an unhappy mind, Science, 330 (2010) 932. [目の前のことに集中することと幸せについて]
  • O. Lelkes, Happiness Across the Life Cycle: Exploring Age-Specific Preferences, Policy Brief, (2008). [結婚と幸福の関係について]
  • A.T. Jebb, L. Tay, E. Diener, S. Oishi, Happiness, income satiation and turning points around the world, Nat Hum Behav, 2 (2018) 33-38. [所得と幸福の関係について]
  • D. Kahneman, A. Deaton, High income improves evaluation of life but not emotional well-being, Proc Natl Acad Sci U S A, 107 (2010) 16489-16493. [Emotional well-beingとLife evaluationの定義について、所得と幸福の関係について]

 

 こちらも次に読んでみたい本たちです。

幸せな選択、不幸な選択――行動科学で最高の人生をデザインする

幸せな選択、不幸な選択――行動科学で最高の人生をデザインする

 

 

*1:注意が必要なのは、これらの項目が満たされているから幸せなのか、幸せだからこれら3つの条件が満たされているのかは本書では議論されていません。なので、幸福になるための方法と言うと言い過ぎかもしれません。ただ、幸福に近づくために"意識すべきこと"程度には言えるのかもしれません

*2:本書の"幸福"は学術的には"Emotional well-being"というものを指すようです。それは何かというと、"Emotional well-beingは、個人の日常経験の感情的な質を指します-喜び、ストレス、悲しみ、怒り、愛情の経験の頻度と強度は、1つの人生を快適または不快にします。" "Emotional well-being refers to the emotional quality of an individual’s everyday experience—the frequency and intensity of experiences of joy, stress, sadness, anger, and affection that make one’s life pleasant or unpleasant." Daniel Kahneman & Angus Deaton (2010) "High income improves evaluation of life but not emotional well-being" より。"幸福"は主観的なものであるため、客観的に測定するために、"認識(life evaluation)"と"感情"(Emotional well-being)に分けて議論するようです。

*3:人類の誕生が500万年前にたいし、農耕の開始がおおよそ1万年前なので、人間の感情や欲求という本能的なものは原始時代を生き延びるために進化したものと仮定できるとする

*4:筆者はアートが好きでたまに購入することがあるが、高い買い物程後悔する法則があるような気がする。"ギャラリーで見たように輝いては見えないのに、あんな高い金額を!?"となる

*5:論文中では、日本円へは1ドル=110円で換算。購買力平価比率などを考慮しているようです

*6:"人生評価とは、人が自分の人生について考えたときに、その人の考えていることを指します。" "Life evaluation refers to the thoughts that people have about their life when they think about it." Daniel Kahneman & Angus Deaton (2010) "High income improves evaluation of life but not emotional well-being" より

路地での車のすれ違いから錯覚資産について考えた

狭い路地を車で走っている。対向車がやってきた。路地は車が2台ギリギリ通れる幅だ。

さて、皆さんはこの時、車のスピードを抑える派だろうか、それとも「押し通る!」とばかりにスピードを保つ派だろうか。

私は前者だ*1。だから、スピードを保ちながらすれ違う対向車に恐怖する。この恐怖はスタンド攻撃に遭った時の感じに近い*2。「ありのままの事を話すぜ。ワゴン車がハイスピードで通っていったと思ったら、自分の車には傷一つついていなかったんだ 。。」という感じだ。。そしてこの"ハイスピード派"、車を2,3回運転する度に出会う気がする。

http://jojotheworld.com/wp-content/uploads/2014/06/a92531c46dcc20f87b9e55cab7bb080a-576x1024.png

 

疑問と仮説

これまで私はスピードを保ったまま路地を通る人は、長年の運転から空間認知能力に長けているのだと思っていた。彼らは、車が車道のどこを走っているか、車の大きさ、対向車との距離を正確に*3認識しているから確信をもって自動車の速度を高く保てるのだと。

でも、ふと思った。そうではないと。実際は空間認識能力に長けているというより、"やってみたらできちゃった"という別の学習方法によって身に着けた能力ではないだろうか*4。そして、それは錯覚資産のアナロジーではないかと。

 

一般人の乗車中の空間認知能力

まず、実際、一般人が自動車に乗った時に空間をどのように把握しているか調べてみた*5。自動車が人の知覚距離に与える影響を調査した研究にMoellerら(2016)の研究*6がある。彼らの研究では、被験者を下記の図のような環境に置き、4-20mに設置されたコーンまでの距離が何メートルに感じるかを被験者に質問した。

 

https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.3758%2Fs13423-015-0954-9/MediaObjects/13423_2015_954_Fig1_HTML.gif?as=webp

Fig1. Experimental setup for distance estimations in the three conditions. (a) Participants sat in a chair without any occlusion between themselves and the target traffic cone. (b) Participants sat, slightly elevated by a cushion to the same elevation as participants experienced in the driving condition, in a chair and saw the target cone through a frame that provided the same visual occlusion as the car in the driving condition. (c) Participants sat behind the steering wheel in a car. (d) Bird’s-eye view of the setup; the distances are not drawn to scale

 

その結果、ドライバー(Fig.1cの被験者)は距離を40%低く見積もっていた[Fig.2]*7。これは、ただ椅子に座っている時(Fig.1a,b)より、車に乗った時のの方が想定した距離と現実の距離の差が大きい事を意味する。つまり、一般ドライバーの前方方向の距離感覚はあまりあてにならない。この研究は、前方の4m以上の距離を測定するものなので、車がすれ違う状況でのことは分からないし、また、車幅感覚*8に言及するものではない。ただ、4mの時点で正しく認識できていないため、すれ違う時にも正確な距離を認識できていない可能性は高い*9

また、被験者らの"運転経歴"について2-36年とされているため、通常の運転の積み重ねではこの距離感覚は向上しないのだと思われる*10

 

https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.3758%2Fs13423-015-0954-9/MediaObjects/13423_2015_954_Fig2_HTML.gif?as=webp

Fig.2 Mean underestimations in percentage of to-be-estimated distance as a function of distance and condition (averaged over time of measurement). Error bars depict the standard error of the means

 

プロドライバーの空間認知能力

さて、プロドライバーの場合はどうだろうか。驚くべきことに、プロのレーシングドライバーは"オニ狭い路地"をハイスピードで通り過ぎてゆくことができる。つまり、乗車中も極めて高い空間認知能力とみなせるものを保持している。一方、先の研究から、一般人の場合、ドライバー歴が長くても空間認知能力は変わらないかもしれない。

なら、なぜレーシングドライバーは狭い路地でもスピードを保ったまま通ってゆけるのだろうか。その秘訣は、適切なフィードバックとPDCAサイクルにあると考えられるレーシングドライバーは自分の走りを何度も撮影してチェックするだろうし、レースや練習で失敗する機会が何回もある。そのたびにフィードバック*11をもらい、彼らの本能的な知覚を修正してゆく。

https://img.goo-net.com/goo/magazine/contents/105853/27e0d13ba57a373b61dd9be47d2969fd.jpg?20210103183321

 恐るべしレーシングドライバーの車両感覚! オニ狭い路地をスイスイ!|中古車なら【グーネット】

一般人がハイスピードで突っ込めるようになるまで

それでは、路地でハイスピードで走れる人は、なぜ"確信をもって"路地での衝突を恐れず走り抜けることができるのだろうか。それは、よくわかんないけど突っ込んだらいけたサイクル*12を回したからじゃないだろうか。例えば、一度何かあって怖いながらもハイスピードすれ違ったら「あれ意外といける?」となる。すると次も似たような状況で、「いけるんじゃない?」と思いハイスピードで通ってゆく。そうするうちに何となくハイスピードでもOKとNGな場合が分かってくる。

つまり、一度よくわからないけれどハイスピードで突っ込めたということが、その後の経験につながり、路地でスピードを出せない人との差をどんどん広げてゆく。もちろん、正しく空間認識できているわけではないから、賭けに負けて対向車にぶつかる人もいるだろう。でも継続した場合、最終的には、スピード派は、「正しく距離は認識できないとしても路地でもすれ違える能力」を身に着けるのだろう。それは正しく空間認識できているのと何が異なるのだろう。

 

あれれ~? この構造、世の中にあふれてない?

読者の中には、似たような話どこかで聞いたことあるなと思うかもしれない。

自分は錯覚資産を連想した。最初は他人の錯覚(=本人にその能力はない、もしくは他の人より低い)でも、実際に環境が与えられることで、実際に本人に実力がついてゆく。だからさらに仕事が舞い込んで実力がついて。。。の繰り返し。"ハイスピードで突っ込めた"ことが実際に"ハイスピードで突っ込める"ようにしてゆく。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/f/fromdusktildawn/20180807/20180807120350.gif

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている - 第一章 - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ (天才! 成功する人々の法則[マルコム・グラッドウェル著]の中で紹介されているマタイ効果とも言い換えられるかも)

 

実際に自分も"錯覚資産"に近いものを、スタートアップのインターンで感じたことがある。インターン先は、"できることで仕事をもらう"というよりは、"話を盛って仕事をもらい、それをできるようにする"という場所だった。しかし、実際に一度できてしまうと、それはもう"事実"だ。同じ仕事をしてほしい企業からの仕事が入ってくる。つまり、最初に"突っ込む"(i.e., 嘘をついても仕事を取ってくる)ことが、実際に"突っ込める"(i.e., その分野での技術を高め、地位を得る)ようにする*13

"突っ込めない"人はどうするのか

さて、 ここで気になるのが、自分は"突っ込めない"ということだ。車でも仕事でも。

自分は錯覚資産という考えが好きではない。多分、これは自分が苦手とするマーケティングに関わるからだ。マーケティングと言うのは大勢にウケないといけない。でも自分が好きなものは、たいてい人は興味がない。自分の働く分野の市場も小さくはないが大きくないから仕事の話をしても通じる人が少ない。苦手なことに向き合うのは辛い*14。。あとたぶん、どこかマッチョすぎる考えなんだよなぁ。。(小並感)しかし現在、"錯覚資産"が最終的にどのような違いを及ぼすか身近な例(路上でハイスピードで通る人)から感じてしまった。

と、ここまで書いて自分でも"突っ込める"ことがあることを思いついた。おそらく、私の博士の研究分野と近いプロジェクトがあったら、"できます"と言って手を上げるだろう。全然やり方わからなくても。

どうしてもやりたい事なら"突込める"のだろうか。そうでなくても、自分が嫌じゃないやり方で錯覚資産を得る方法があるはずだ。これから路地で車とすれ違うたびにそれを考えよう。最初の一歩が別の世界を見せることがある

 

まとめると

  • 狭い路地でもハイスピードで突っ込んでゆける人は、たぶん距離は間違って認識しているけれど、対向車とはぶつからないという能力者
  • その能力は、一度"突っ込む"ことができたから得られたものではないか。錯覚資産を垣間見た気がした。
  • 自分は錯覚資産を得るのが苦手。でも、自分が嫌じゃない範囲でなにかできないかな。ブログはそれか。。。?

 

 

天才! 成功する人々の法則

天才! 成功する人々の法則

 

 

*1:え、なんだって?そもそもそんなこと興味ない?後からみんな大好きビジネスの話に移ってゆくので頑張って読んでくれ

*2:と言っても、スタンド攻撃にはこれまで遭った事がないのだけれど。たぶん。

*3:例えば±10cmぐらいの誤差で

*4:路地でもハイスピードで走る友人がいるのでそいつに聞いたら解決する疑問ではある

*5:というのも、自分がただただ自動車運転が下手なだけという可能性があるから

*6:Moeller, B., Zoppke, H. & Frings, C. What a car does to your perception: Distance evaluations differ from within and outside of a car. Psychon Bull Rev 23, 781–788 (2016). https://doi.org/10.3758/s13423-015-0954-9

*7:距離を過小評価するということは、実際よりも対象が本能的に近くに見えているということで、これは事故の防止に役立っているのかもしれない。あと、この論文のとても面白いところはFig.1aとbで認識に変化がない事だ。車に乗った時だけ通常よりさらに過小評価する。論文中では自動車が"body scheme"として取り入れられた(=道具として車が体の一部として認識されている状態)等が挙げられているが、詳しくはわかっていない。実際の実験の状況を見せてくれるといいんだけど。

*8:運転時にドライバーが知覚する車の大きさ

*9:と仮定して話を進める

*10:ドイツの道路事情もあるので、純粋に日本とは比較できないかもしれないけれど。欧州も日本と同じで狭い路地多いから、路地での運転の習熟度はそんな大きくないかな?

*11:適切なフィードバックの効果は失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織

リーン・スタートアップ ムダのない起業プロセスでイノベーションを生みだす

に詳しい

*12:結局これも別の形のフィードバックとPDCAサイクルと言える。プロドライバーのように、"0.1秒前からハンドル切って"というような具体的なフィードバックはないけれど

*13:本当にその仕事をやり終えられる場合は。インターン先では、実際に"できた"ものも、そうでないものもあった。でもできたことについては次の仕事は来るのだ。

*14:このブログも自分の生きづらさとかを中和するためにやっているので、SEO対策とかそういう広く知ってもらうためのことは後回しである。とりあえず書きたいのだ。

稼がなくてはダメなのか?

初めてのブログでこんな生々しいことを書くとは想像もしていなかった。

本当は研究の進め方の話とか*1現代アート批評とか、クラフトビールの話とかするのではないかと思ってた。

さて、自分がブログを書こうと思ったのは、ネット上に自分の欲しい情報がないからだ。というのも、この手の話題、極端な情報*2しか検索しても出てこないから。自分で自分の欲しい情報を捏造しようという訳だ。

 

  • 読んでほしい人

仕事は嫌いじゃないし、給料は生活に困るほどじゃないけれど、ネットを見るともっと高給な人はいるし、国も"副業せよ"と口うるさいので、"何かしなくてはいけないのではないか"と考えているひと。

みんな大好き年収の話

さて、自分が何を話したいかというと、"年収"だ。なんと生々しい。

自分の年収は現在、日本全体の平均年収と同じぐらいだ。"平均あるなら十分じゃないか"という人もいれば、"平均だなんて低年収www"と思う人もいるだろう。

何が問題かというと、自分で自分の年収を低いと思ってしまったことだ。生活には全く困っていないにも関わらず。。

自己紹介と悩みの背景

自分は2020年に博士号を取得し、現在、外資系のエンジニアリング企業に勤務している。自分が年収について悩み始めたのは、すぐには思うように仕事ができないと気付いたことがきっかけだ。大学では自分の考えの基、研究の方向を決め、自分でコントロールして進めてきたが、企業では"分からない"ことだらけで、自分で何かを決めることがとても難しい。

この落差を辛いと感じていたころ、自分が比較してしまったのが、現在の職と大学の助教というポストだ。博士を出ると、日本では通常アカデミアのポストを目指すが、自分は"このままアカデミアに進んで幸せだろうか"と考え、別の道を選んだ。ただ、業務が"辛い"と比べてしまうのが助教というポストで、なんとこれが現職よりかなり給料が高い。さらに研究なら卒業直後においても自分の決めて自分で進められることも多い。そこから、せめて"年収だけは近づけよう"という考えが頭を離れなくなった。(今思うと、このあたり、論理ではない。感情だ。。)

年収アップの方法と違和感

さてさて、現在ネットで年収アップの手法を検索すると、下記の選択肢が容易に見つけられよう。 1)転職、2)給与交渉、3)副業だ。

これは至極まっとうな手段だ。実際、この考えに何も違和感を感じないなら、ここでこの記事を読むのをやめて、両学長の本でも読むといいと思う。(個人的に、この本は節約の手法がまとまっているのがよい点だと思う。)

本当の自由を手に入れるお金の大学

本当の自由を手に入れるお金の大学

 

 

一方、それら3つの手法についての自分の考えは以下の通りだ。

転職

自分の考えは、"なぜお金のためだけに転職しないといけないのか?"だ。
今の仕事は嫌いじゃないし、面白ささえ感じる時もある。上司や会社も(今のところ)好きだし、将来この分野でやりたいと思うこともある。

自分はこれまで2回転職している。また企業との共同研究で垣間見えた情報から、上記のような環境で働けるのは得難いと思う(e.g., 仕事は好きでも会社は嫌いとかよく聞く)。

一生転職しないとは言えないけれど、今はこの企業に勤めたいと考えている。たとえ、給料が現状高くなくても。

 

給料が高くないとしたら、ひろゆきの言うペタンクのように、立ち位置(業界)がよくないのだろう。

社会で金になるかどうかで、人は評価を変えるので。社会で『天才』と呼ばれるか、『狂気』と呼ばれるかを分けるものって、出された成果物を社会が受け入れたかどうかだと思うんです。フランスには、鉄の球を砂場の上で投げるペタンクというスポーツがあります。

 でもペタンクは現代社会でビジネスとして成立していないから、仮にペタンクが世界一うまい日本人、つまり“ペタンク界のイチロー”がいたとしても、食べていけないんですよね。でも、“野球界のイチロー”はもちろん食べていけますよね。それは、野球にビジネス構造があるからなんです。だから、圧倒的な能力があっても、その能力を評価する構造が社会にあるかどうかで、『天才』か『狂気』かっていうのは、変わってきちゃうんですよね。

 

 

実際、自分が情報工学Ph.Dを取っていたら良い環境、自分のやりたいこと、給料、それぞれバランスよく得られていたのかもしれない。
でもだからと言って、今まで自分が積み上げてきたことを全て崩してTech Academyの門を叩こうとは思わない。自分のやっていることは嫌いじゃないし、積み重ねがあるからできることがある(と信じている)。

これは20代の自分が見たら、"弱い人-自分の能力がないから稼げない人-の考え" と思うだろう。ある側面から見た事実だ。でも、今の自分は今の環境が合っているのがわかるし、それがかなり幸せなことであるとも思う。"自分が好きなこと"の分野の給与が高くない=業界・分野で給与水準が決まってしまうのはとても悔しいが、給与に不満を感じるなら給与が高い業界へ行けよと言うのも違和感を感じる*3。自分が幸せに感じるならそれでいいではないか。生活には困っていないし、給与だけで人生を測れるものではない。

また、現在とても需要が高い仕事だからと言って、10年後そうかはわからない。その仕事が自分に合うかもわからない。もしかしたら現在の仕事にいて10年後の方が面白い立場を得やすいのではないかと思う。積み重ねがあるからだ。

給与交渉

入社1年目で給与交渉は難しい。ただ、3年目に交渉をしてみようと思う。昇給交渉は、上司が奨めてくれていて、上司にとても恵まれているなとと思う。

副業

自分を一番悩ませたのがこれだ。なぜかというと、やろうとすればやれてしまうから。つまり、やらない理由を探さないといけない。

でも現時点での結論として、副業は当分しないでおこうと思う。なぜならやりたくないから

 

副業として考えられるのは、アルバイト、ブログ、せどり、プログラミング、アプリ開発、動画編集、Youtuber等だろうか。国も副業を推奨しているし、ネットでは副業しないと危ないと言わんばかりだ。

www.mhlw.go.jp
blog.tinect.jp

でも、自分、どれもやりたくないのだなぁ*4。これらの副業が本業に活きるとは思わないし*5、今の自分にとっては、本業や興味がある分野の勉強や、博士時代の研究内容で論文を投稿する方がよっぽど"役に立つ"と思うし、趣味に時間を使いたい。

例に挙げた副業って、要するに"残業"と変わらない。空き時間や土日でやること前提だし、やった時間に比例して収入が増える類のものだ*6。自分にとって、時間の切り売りが幸せにつながるか怪しい。ただただ忙しくするだけだからだ。実際、海外の研究者からは、"日本人はただですら働きすぎなのに、副業を解禁することが本当に働き方改革なのか"という指摘がある(ハーバードの日本人論)。

ハーバードの日本人論 (中公新書ラクレ 658)

ハーバードの日本人論 (中公新書ラクレ 658)

  • 作者:佐藤 智恵
  • 発売日: 2019/06/06
  • メディア: 新書
 

 

自分の立ち位置は下記のブログに近いと思う。"稼げる"からと言って、それがやりたくないなら、やらなくてもいいのではないだろうか。無理してやることは幸せから遠ざかる行為かもしれない。

dutoit6.com

おそらく同世代(30代)が副業する目的の一つが"不安"だ。実際、下記のリサーチでは副業をするための理由として、将来のための貯蓄は66.7%、雇用に不安があるからが33.3%となっている。将来が見えない中、何とか生きていく手段を見つけるために副業をするのだろう。でもそれなら、本業を頑張るという手もあるではないか。自分の場合は、現在のところ、その方が市場価値を高めると思う。

www.manpowergroup.jp

  

まとめると

多く稼がなくても幸せに生きれるなら、それでいいではないかということ。おそらく世の中の大半の人がこの道を選んでいると思う。一方、twitterfacebook、LinkedIn界隈では好きなことをやってものすごく稼いでいる(ように見える)人がすぐ見つかるし、そういう人たちは、"この時代で稼げない人はアホ"と言わんばかりに煽ってくる。でも、自分の収入の範囲で幸せに生きるってのも幸せの形ではないだろうか。

稼ぎってのは定量化しやすいから稼いでいる人には有利な土台だと思う。皆不安だから人と比較しようとするんだろうけれど、その際、幸せってのはとても測りにくいから、お金っていうものさしを持ち込むのだろう。その土俵に乗ってもいいし、乗らなくてもいい。

ありきたりだが、人や情報に流されず、自分にとって何が幸せかを見極めたうえで生きるということが重要なんだろう。これがまた難しいんだけれど。

*1:今は研究職でないにも関わらず

*2:例えば、"俺はこれで稼いだ。皆もやろう"という話や、逆に"稼がなくても生きて行ける、ただしベトナムへ移住"、"小金持ち目指すなら副業しろ"など。自分はマッチョじゃない普通の意見が見たいのだ。

*3:ひろゆきはそこまで言っていない。自分も白紙の状態で企業を選ぶなら給与が高い業界へ行くのもありだと思う。ちやほやされるというのはかなりやる気が増えるだろう。

*4:これはブログじゃないかというツッコミはあるだろうけど、これは副業じゃないし、稼ぐためにやっていない。ただただ自分の生きづらさの解消のためだ

*5:副業が本業に役立つ人なんてほんの一握りではないだろうか。プログラマとか副業しやすい職の人に限られるように思う。

*6:もちろんブログやYoutubeだと当たればものすごく稼げるかもしれないし、プログラミングとか半分趣味で半分副業とかならいいと思う。その他でも、稼げたら好きになるかもしれない。