稼がなくてはダメなのか?
初めてのブログでこんな生々しいことを書くとは想像もしていなかった。
本当は研究の進め方の話とか*1、現代アート批評とか、クラフトビールの話とかするのではないかと思ってた。
さて、自分がブログを書こうと思ったのは、ネット上に自分の欲しい情報がないからだ。というのも、この手の話題、極端な情報*2しか検索しても出てこないから。自分で自分の欲しい情報を捏造しようという訳だ。
- 読んでほしい人
仕事は嫌いじゃないし、給料は生活に困るほどじゃないけれど、ネットを見るともっと高給な人はいるし、国も"副業せよ"と口うるさいので、"何かしなくてはいけないのではないか"と考えているひと。
みんな大好き年収の話
さて、自分が何を話したいかというと、"年収"だ。なんと生々しい。
自分の年収は現在、日本全体の平均年収と同じぐらいだ。"平均あるなら十分じゃないか"という人もいれば、"平均だなんて低年収www"と思う人もいるだろう。
何が問題かというと、自分で自分の年収を低いと思ってしまったことだ。生活には全く困っていないにも関わらず。。
自己紹介と悩みの背景
自分は2020年に博士号を取得し、現在、外資系のエンジニアリング企業に勤務している。自分が年収について悩み始めたのは、すぐには思うように仕事ができないと気付いたことがきっかけだ。大学では自分の考えの基、研究の方向を決め、自分でコントロールして進めてきたが、企業では"分からない"ことだらけで、自分で何かを決めることがとても難しい。
この落差を辛いと感じていたころ、自分が比較してしまったのが、現在の職と大学の助教というポストだ。博士を出ると、日本では通常アカデミアのポストを目指すが、自分は"このままアカデミアに進んで幸せだろうか"と考え、別の道を選んだ。ただ、業務が"辛い"と比べてしまうのが助教というポストで、なんとこれが現職よりかなり給料が高い。さらに研究なら卒業直後においても自分の決めて自分で進められることも多い。そこから、せめて"年収だけは近づけよう"という考えが頭を離れなくなった。(今思うと、このあたり、論理ではない。感情だ。。)
年収アップの方法と違和感
さてさて、現在ネットで年収アップの手法を検索すると、下記の選択肢が容易に見つけられよう。 1)転職、2)給与交渉、3)副業だ。
これは至極まっとうな手段だ。実際、この考えに何も違和感を感じないなら、ここでこの記事を読むのをやめて、両学長の本でも読むといいと思う。(個人的に、この本は節約の手法がまとまっているのがよい点だと思う。)
一方、それら3つの手法についての自分の考えは以下の通りだ。
転職
自分の考えは、"なぜお金のためだけに転職しないといけないのか?"だ。
今の仕事は嫌いじゃないし、面白ささえ感じる時もある。上司や会社も(今のところ)好きだし、将来この分野でやりたいと思うこともある。
自分はこれまで2回転職している。また企業との共同研究で垣間見えた情報から、上記のような環境で働けるのは得難いと思う(e.g., 仕事は好きでも会社は嫌いとかよく聞く)。
一生転職しないとは言えないけれど、今はこの企業に勤めたいと考えている。たとえ、給料が現状高くなくても。
給料が高くないとしたら、ひろゆきの言うペタンクのように、立ち位置(業界)がよくないのだろう。
社会で金になるかどうかで、人は評価を変えるので。社会で『天才』と呼ばれるか、『狂気』と呼ばれるかを分けるものって、出された成果物を社会が受け入れたかどうかだと思うんです。フランスには、鉄の球を砂場の上で投げるペタンクというスポーツがあります。
でもペタンクは現代社会でビジネスとして成立していないから、仮にペタンクが世界一うまい日本人、つまり“ペタンク界のイチロー”がいたとしても、食べていけないんですよね。でも、“野球界のイチロー”はもちろん食べていけますよね。それは、野球にビジネス構造があるからなんです。だから、圧倒的な能力があっても、その能力を評価する構造が社会にあるかどうかで、『天才』か『狂気』かっていうのは、変わってきちゃうんですよね。
実際、自分が情報工学のPh.Dを取っていたら良い環境、自分のやりたいこと、給料、それぞれバランスよく得られていたのかもしれない。
でもだからと言って、今まで自分が積み上げてきたことを全て崩してTech Academyの門を叩こうとは思わない。自分のやっていることは嫌いじゃないし、積み重ねがあるからできることがある(と信じている)。
これは20代の自分が見たら、"弱い人-自分の能力がないから稼げない人-の考え" と思うだろう。ある側面から見た事実だ。でも、今の自分は今の環境が合っているのがわかるし、それがかなり幸せなことであるとも思う。"自分が好きなこと"の分野の給与が高くない=業界・分野で給与水準が決まってしまうのはとても悔しいが、給与に不満を感じるなら給与が高い業界へ行けよと言うのも違和感を感じる*3。自分が幸せに感じるならそれでいいではないか。生活には困っていないし、給与だけで人生を測れるものではない。
また、現在とても需要が高い仕事だからと言って、10年後そうかはわからない。その仕事が自分に合うかもわからない。もしかしたら現在の仕事にいて10年後の方が面白い立場を得やすいのではないかと思う。積み重ねがあるからだ。
給与交渉
入社1年目で給与交渉は難しい。ただ、3年目に交渉をしてみようと思う。昇給交渉は、上司が奨めてくれていて、上司にとても恵まれているなとと思う。
副業
自分を一番悩ませたのがこれだ。なぜかというと、やろうとすればやれてしまうから。つまり、やらない理由を探さないといけない。
でも現時点での結論として、副業は当分しないでおこうと思う。なぜならやりたくないから。
副業として考えられるのは、アルバイト、ブログ、せどり、プログラミング、アプリ開発、動画編集、Youtuber等だろうか。国も副業を推奨しているし、ネットでは副業しないと危ないと言わんばかりだ。
でも、自分、どれもやりたくないのだなぁ*4。これらの副業が本業に活きるとは思わないし*5、今の自分にとっては、本業や興味がある分野の勉強や、博士時代の研究内容で論文を投稿する方がよっぽど"役に立つ"と思うし、趣味に時間を使いたい。
例に挙げた副業って、要するに"残業"と変わらない。空き時間や土日でやること前提だし、やった時間に比例して収入が増える類のものだ*6。自分にとって、時間の切り売りが幸せにつながるか怪しい。ただただ忙しくするだけだからだ。実際、海外の研究者からは、"日本人はただですら働きすぎなのに、副業を解禁することが本当に働き方改革なのか"という指摘がある(ハーバードの日本人論)。
自分の立ち位置は下記のブログに近いと思う。"稼げる"からと言って、それがやりたくないなら、やらなくてもいいのではないだろうか。無理してやることは幸せから遠ざかる行為かもしれない。
おそらく同世代(30代)が副業する目的の一つが"不安"だ。実際、下記のリサーチでは副業をするための理由として、将来のための貯蓄は66.7%、雇用に不安があるからが33.3%となっている。将来が見えない中、何とか生きていく手段を見つけるために副業をするのだろう。でもそれなら、本業を頑張るという手もあるではないか。自分の場合は、現在のところ、その方が市場価値を高めると思う。
まとめると
多く稼がなくても幸せに生きれるなら、それでいいではないかということ。おそらく世の中の大半の人がこの道を選んでいると思う。一方、twitterやfacebook、LinkedIn界隈では好きなことをやってものすごく稼いでいる(ように見える)人がすぐ見つかるし、そういう人たちは、"この時代で稼げない人はアホ"と言わんばかりに煽ってくる。でも、自分の収入の範囲で幸せに生きるってのも幸せの形ではないだろうか。
稼ぎってのは定量化しやすいから稼いでいる人には有利な土台だと思う。皆不安だから人と比較しようとするんだろうけれど、その際、幸せってのはとても測りにくいから、お金っていうものさしを持ち込むのだろう。その土俵に乗ってもいいし、乗らなくてもいい。
ありきたりだが、人や情報に流されず、自分にとって何が幸せかを見極めたうえで生きるということが重要なんだろう。これがまた難しいんだけれど。
*1:今は研究職でないにも関わらず
*2:例えば、"俺はこれで稼いだ。皆もやろう"という話や、逆に"稼がなくても生きて行ける、ただしベトナムへ移住"、"小金持ち目指すなら副業しろ"など。自分はマッチョじゃない普通の意見が見たいのだ。
*3:ひろゆきはそこまで言っていない。自分も白紙の状態で企業を選ぶなら給与が高い業界へ行くのもありだと思う。ちやほやされるというのはかなりやる気が増えるだろう。
*4:これはブログじゃないかというツッコミはあるだろうけど、これは副業じゃないし、稼ぐためにやっていない。ただただ自分の生きづらさの解消のためだ
*5:副業が本業に役立つ人なんてほんの一握りではないだろうか。プログラマとか副業しやすい職の人に限られるように思う。
*6:もちろんブログやYoutubeだと当たればものすごく稼げるかもしれないし、プログラミングとか半分趣味で半分副業とかならいいと思う。その他でも、稼げたら好きになるかもしれない。