路地での車のすれ違いから錯覚資産について考えた
狭い路地を車で走っている。対向車がやってきた。路地は車が2台ギリギリ通れる幅だ。
さて、皆さんはこの時、車のスピードを抑える派だろうか、それとも「押し通る!」とばかりにスピードを保つ派だろうか。
私は前者だ*1。だから、スピードを保ちながらすれ違う対向車に恐怖する。この恐怖はスタンド攻撃に遭った時の感じに近い*2。「ありのままの事を話すぜ。ワゴン車がハイスピードで通っていったと思ったら、自分の車には傷一つついていなかったんだ 。。」という感じだ。。そしてこの"ハイスピード派"、車を2,3回運転する度に出会う気がする。
疑問と仮説
これまで私はスピードを保ったまま路地を通る人は、長年の運転から空間認知能力に長けているのだと思っていた。彼らは、車が車道のどこを走っているか、車の大きさ、対向車との距離を正確に*3認識しているから確信をもって自動車の速度を高く保てるのだと。
でも、ふと思った。そうではないと。実際は空間認識能力に長けているというより、"やってみたらできちゃった"という別の学習方法によって身に着けた能力ではないだろうか*4。そして、それは錯覚資産のアナロジーではないかと。
一般人の乗車中の空間認知能力
まず、実際、一般人が自動車に乗った時に空間をどのように把握しているか調べてみた*5。自動車が人の知覚距離に与える影響を調査した研究にMoellerら(2016)の研究*6がある。彼らの研究では、被験者を下記の図のような環境に置き、4-20mに設置されたコーンまでの距離が何メートルに感じるかを被験者に質問した。
Fig1. Experimental setup for distance estimations in the three conditions. (a) Participants sat in a chair without any occlusion between themselves and the target traffic cone. (b) Participants sat, slightly elevated by a cushion to the same elevation as participants experienced in the driving condition, in a chair and saw the target cone through a frame that provided the same visual occlusion as the car in the driving condition. (c) Participants sat behind the steering wheel in a car. (d) Bird’s-eye view of the setup; the distances are not drawn to scale
その結果、ドライバー(Fig.1cの被験者)は距離を40%低く見積もっていた[Fig.2]*7。これは、ただ椅子に座っている時(Fig.1a,b)より、車に乗った時のの方が想定した距離と現実の距離の差が大きい事を意味する。つまり、一般ドライバーの前方方向の距離感覚はあまりあてにならない。この研究は、前方の4m以上の距離を測定するものなので、車がすれ違う状況でのことは分からないし、また、車幅感覚*8に言及するものではない。ただ、4mの時点で正しく認識できていないため、すれ違う時にも正確な距離を認識できていない可能性は高い*9。
また、被験者らの"運転経歴"について2-36年とされているため、通常の運転の積み重ねではこの距離感覚は向上しないのだと思われる*10。
Fig.2 Mean underestimations in percentage of to-be-estimated distance as a function of distance and condition (averaged over time of measurement). Error bars depict the standard error of the means
プロドライバーの空間認知能力
さて、プロドライバーの場合はどうだろうか。驚くべきことに、プロのレーシングドライバーは"オニ狭い路地"をハイスピードで通り過ぎてゆくことができる。つまり、乗車中も極めて高い空間認知能力とみなせるものを保持している。一方、先の研究から、一般人の場合、ドライバー歴が長くても空間認知能力は変わらないかもしれない。
なら、なぜレーシングドライバーは狭い路地でもスピードを保ったまま通ってゆけるのだろうか。その秘訣は、適切なフィードバックとPDCAサイクルにあると考えられる。レーシングドライバーは自分の走りを何度も撮影してチェックするだろうし、レースや練習で失敗する機会が何回もある。そのたびにフィードバック*11をもらい、彼らの本能的な知覚を修正してゆく。
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一般人がハイスピードで突っ込めるようになるまで
それでは、路地でハイスピードで走れる人は、なぜ"確信をもって"路地での衝突を恐れず走り抜けることができるのだろうか。それは、よくわかんないけど突っ込んだらいけたサイクル*12を回したからじゃないだろうか。例えば、一度何かあって怖いながらもハイスピードすれ違ったら「あれ意外といける?」となる。すると次も似たような状況で、「いけるんじゃない?」と思いハイスピードで通ってゆく。そうするうちに何となくハイスピードでもOKとNGな場合が分かってくる。
つまり、一度よくわからないけれどハイスピードで突っ込めたということが、その後の経験につながり、路地でスピードを出せない人との差をどんどん広げてゆく。もちろん、正しく空間認識できているわけではないから、賭けに負けて対向車にぶつかる人もいるだろう。でも継続した場合、最終的には、スピード派は、「正しく距離は認識できないとしても路地でもすれ違える能力」を身に着けるのだろう。それは正しく空間認識できているのと何が異なるのだろう。
あれれ~? この構造、世の中にあふれてない?
読者の中には、似たような話どこかで聞いたことあるなと思うかもしれない。
自分は錯覚資産を連想した。最初は他人の錯覚(=本人にその能力はない、もしくは他の人より低い)でも、実際に環境が与えられることで、実際に本人に実力がついてゆく。だからさらに仕事が舞い込んで実力がついて。。。の繰り返し。"ハイスピードで突っ込めた"ことが実際に"ハイスピードで突っ込める"ようにしてゆく。
人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている - 第一章 - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ (天才! 成功する人々の法則[マルコム・グラッドウェル著]の中で紹介されているマタイ効果とも言い換えられるかも)
実際に自分も"錯覚資産"に近いものを、スタートアップのインターンで感じたことがある。インターン先は、"できることで仕事をもらう"というよりは、"話を盛って仕事をもらい、それをできるようにする"という場所だった。しかし、実際に一度できてしまうと、それはもう"事実"だ。同じ仕事をしてほしい企業からの仕事が入ってくる。つまり、最初に"突っ込む"(i.e., 嘘をついても仕事を取ってくる)ことが、実際に"突っ込める"(i.e., その分野での技術を高め、地位を得る)ようにする*13。
"突っ込めない"人はどうするのか
さて、 ここで気になるのが、自分は"突っ込めない"ということだ。車でも仕事でも。
自分は錯覚資産という考えが好きではない。多分、これは自分が苦手とするマーケティングに関わるからだ。マーケティングと言うのは大勢にウケないといけない。でも自分が好きなものは、たいてい人は興味がない。自分の働く分野の市場も小さくはないが大きくないから仕事の話をしても通じる人が少ない。苦手なことに向き合うのは辛い*14。。あとたぶん、どこかマッチョすぎる考えなんだよなぁ。。(小並感)しかし現在、"錯覚資産"が最終的にどのような違いを及ぼすか身近な例(路上でハイスピードで通る人)から感じてしまった。
と、ここまで書いて自分でも"突っ込める"ことがあることを思いついた。おそらく、私の博士の研究分野と近いプロジェクトがあったら、"できます"と言って手を上げるだろう。全然やり方わからなくても。
どうしてもやりたい事なら"突込める"のだろうか。そうでなくても、自分が嫌じゃないやり方で錯覚資産を得る方法があるはずだ。これから路地で車とすれ違うたびにそれを考えよう。最初の一歩が別の世界を見せることがある
まとめると
- 狭い路地でもハイスピードで突っ込んでゆける人は、たぶん距離は間違って認識しているけれど、対向車とはぶつからないという能力者
- その能力は、一度"突っ込む"ことができたから得られたものではないか。錯覚資産を垣間見た気がした。
- 自分は錯覚資産を得るのが苦手。でも、自分が嫌じゃない範囲でなにかできないかな。ブログはそれか。。。?
*1:え、なんだって?そもそもそんなこと興味ない?後からみんな大好きビジネスの話に移ってゆくので頑張って読んでくれ
*2:と言っても、スタンド攻撃にはこれまで遭った事がないのだけれど。たぶん。
*3:例えば±10cmぐらいの誤差で
*4:路地でもハイスピードで走る友人がいるのでそいつに聞いたら解決する疑問ではある
*5:というのも、自分がただただ自動車運転が下手なだけという可能性があるから
*6:Moeller, B., Zoppke, H. & Frings, C. What a car does to your perception: Distance evaluations differ from within and outside of a car. Psychon Bull Rev 23, 781–788 (2016). https://doi.org/10.3758/s13423-015-0954-9
*7:距離を過小評価するということは、実際よりも対象が本能的に近くに見えているということで、これは事故の防止に役立っているのかもしれない。あと、この論文のとても面白いところはFig.1aとbで認識に変化がない事だ。車に乗った時だけ通常よりさらに過小評価する。論文中では自動車が"body scheme"として取り入れられた(=道具として車が体の一部として認識されている状態)等が挙げられているが、詳しくはわかっていない。実際の実験の状況を見せてくれるといいんだけど。
*8:運転時にドライバーが知覚する車の大きさ
*9:と仮定して話を進める
*10:ドイツの道路事情もあるので、純粋に日本とは比較できないかもしれないけれど。欧州も日本と同じで狭い路地多いから、路地での運転の習熟度はそんな大きくないかな?
*11:適切なフィードバックの効果は失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織や
リーン・スタートアップ ムダのない起業プロセスでイノベーションを生みだす
に詳しい
*12:結局これも別の形のフィードバックとPDCAサイクルと言える。プロドライバーのように、"0.1秒前からハンドル切って"というような具体的なフィードバックはないけれど
*13:本当にその仕事をやり終えられる場合は。インターン先では、実際に"できた"ものも、そうでないものもあった。でもできたことについては次の仕事は来るのだ。
*14:このブログも自分の生きづらさとかを中和するためにやっているので、SEO対策とかそういう広く知ってもらうためのことは後回しである。とりあえず書きたいのだ。